| ■ 大宝八幡宮(下妻宮) と 下妻氏
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大宝元年701年に 藤原時忠 によって創建されたとされる大宝八幡宮(下妻宮)。 鎌倉時代の

社殿は、鳥羽の淡海に連なって存在した大宝沼 (大正7年干拓により消滅) のほとりにありまし

た。

同社は、修験道の祖といわれる 役小角(えんのおづの) が702年に騰波ノ江の古沢黒島近くに

出た怪しい青火を鎮めたことに始まり「舟守」の社として信仰を集めたと言われています。

また、頼朝は1189年に下妻宮を常陸平氏流の 下妻広幹 に祭事を司らせたが、前述にあるよう

に 北条時政 への謀反により広幹が討たれると 小山朝政 を下妻宮地頭職につかせました。

小山朝政の孫にあたる 長政 は、下妻姓を名乗るようになり長政の長男 下妻政泰 は大宝城を居

城として南北朝時代には南朝方に味方し、北朝方の 足利尊氏 らと戦うことになります。

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